ホーム > インタビュー&レポート > ザ・フェニックスホール 三原剛・小坂圭太が語る 「三原剛が語る『イノック・アーデン』」
11月18日、大阪、ザ・フェニックスホールで開催される「三原剛が語る『イノック・アーデン』」。R・シュトラウスのピアノと朗読による作品を、バリトン歌手、三原剛による日本語の語りによって上演する試みだ。10月22日、三原剛とピアノの小坂圭太がホールを訪れ、記者会見が行われた。日本語上演に際して選ばれたテキストは、今年5月に亡くなった、大正生まれの名バリトン、畑中良輔氏によるもの。日本声楽界の草分けとして多大な功績を残す存在だが、その最後の弟子が三原剛だった。会見ではこの訳詩を巡る奇縁や、『イノック・アーデン』の魅力が、三原・小坂の両者から語られた。
(NEWS「三原剛が語る『イノック・アーデン』 ザ・フェニックスホールで上演」と併せてお読みください)
「畑中良輔訳には運命的なものを感じています」-三原剛
三原:私がこの『イノック・アーデン』という作品を知ったのはもう16,7年も前のことになります。畑中良輔先生から「「メロドラマ」って知ってる?」と訊かれたんですね。私はてっきり、昼の連続ドラマのことかなと思ったのですが、そうではなくてシュトラウスのこの作品のことでした。当時、私は畑中先生のご自宅で、よくレッスンをつけていただいていたのですが、その時に先生から「三原君はいずれこれをやらないといけないよ」、というアドバイスをいただきました。同時に印象的だったのが先生のその時の言葉で「君がこれをやるとしたら、ドイツ語かな、日本語かな」とおっしゃったんですね。その時はそれほど深い話にもならず、そのままだったのですが…。
去年の今頃、フェニックスホールさんから今回の企画をいただきまして、その時は少し考えたい、とお答えしたのですが、畑中先生の言葉や思い出がリンクして、これは時期が来たのかな、と思い、挑戦させていただくことにいたしました。
ピアノは初めから小坂さんにお願いするつもりでした。もう小坂さんともずいぶん長くご一緒させていただいているんですが、今回の話をした時に小坂さんから初めて『イノック・アーデン』の畑中良輔訳を持っている、と聞かされたんですね。私はその訳を存知上げなかったんです。それで、驚きまして。ああ、あの時先生は、あえてあんな風におっしゃったのだと…私はもう、そう思っているのですが、すごく運命的なものを感じております。
この『イノック・アーデン』は元来、役者、俳優といった方たちによって多く採り上げられてきた作品です。とても太刀打ちはできない世界ですが、唯一、声楽の私に迫れる部分があるとしたら、日本語の美しさをこのホールに、どんな風に響かせることができるか、ということだと思っています。それは歌曲や歌唱につながってくる部分でもありますので、それを目標に、公演の日まで、練習を重ねていきたいと考えているところです。
「R・シュトラウスの創作史を見る上でも興味深い作品」-小坂圭太
小坂:R・シュトラウスという作曲家はやはり管弦楽法の大家で、ピアノ曲というのは彼の作品の中では地味な存在です。今回、前半に弾かせていただくピアノ・ソロの曲も、ごく初期の少年時代から青年にかけてのものですし、ピアノ伴奏付の歌曲を一生書き続けたとは言え、あまりピアノが活躍する室内楽であるとか、ピアノ・ソロの曲などは、その後書かなかったわけで、いわゆる交響詩の作曲家としてめきめき伸びてきて、そして『サロメ』とか『エレクトラ』とか、そういうオペラを書くようになるちょうどその前の段階に、『イノック・アーデン』という作品がある、というのはシュトラウスの創作を語る上で、重要な点だと言えるんじゃないでしょうか。
特徴的なのは、やっぱりワーグナーの影響を感じさせるライトモチーフ。それぞれの登場人物に、テーマというかモチーフがあって、それがその時の心情によって展開、変容されていって重ね合わされたり、別々になったり。まあ、手法的にも明らかですし、作品に現われるアニーの夢という展開などは『ローエングリン』のエルザの夢、を思わせるなど、ワーグナーからの流れというようなものを、かなり意図的に表に出しているんじゃないか、と…。これ以後のシュトラウスは、彼自身が作曲家として練達してしまうので、外からの影響は見えにくくなります。ですから作品番号として、この38番という位置にある『イノック・アーデン』は、彼の創作史を見る上でも興味深い音楽だと思いますね。
畑中先生の訳は、文学的な価値と言う点でも見事なものですし、実際に演奏する、という点においても非常に考えられたものだと思います。まず英語・ドイツ語と日本語では語順が違います。ところが畑中訳ではシュトラウスがここで合わせてほしい、と指示を入れたところでは、きちんと合わさるように…言葉だけではなく調性やモチーフまで…できているんですね。そこまで考えて畑中先生は訳されているので、そのあたりは十分注意しながら演奏していきたいですね。
(2012年11月 2日更新)
畑中良輔(1922~2012)
バリトン歌手。演奏、指導の両面を通じて日本の声楽界、オペラ界の基礎を築いた。北九州市門司生まれ。東京音楽学校(現・東京芸術大学)声楽科、同研究科を卒業する。宮廷歌手ヘルマン・ヴーハーペニヒ博士に師事し、演技力と解釈の深さによりデビュー当時より高い評価を受け、特にモーツァルト歌手としては『魔笛』『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』『コジ・ファン・トゥッテ』などの日本初演で主役を務めるなど、オペラの上演史に輝かしい足跡を残した。ドイツ歌曲・日本歌曲に造詣が深く、作曲、詩作、評論活動などを通じての貢献も大きい。著書多数。『音楽少年誕生物語 繰り返せない旅だから』に始まる自伝シリーズは多くの版を重ねている。晩年は暖かなエッセイとブル先生のニックネームで音楽ファンに親しまれた。
リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)
ドイツの後期ロマン派を代表する作曲家。ミュンヘンに生まれる。交響詩とオペラ、そして歌曲の分野に大きな足跡を残した。指揮活動と並行して早い時期から天才を発揮し、1898年までに代表作とされる7曲の交響詩を書き上げる。その後はオペラへと関心を向け『サロメ』『エレクトラ』『ばらの騎士』『ナクソス島のアリアドネ』『影のない女』などの問題作を発表。音楽界の寵児として一時代を築いた。1930年代以降、ナチス・ドイツとの関係を深め、戦後は、対ナチ協力者として裁判にかけられたことから、半隠遁状態となった(裁判は最終的に無罪。ナチスとの関係については非難・擁護双方の立場からの議論がある)。今回上演される『イノック・アーデン』は1897年に発表されている。
〈注目アーティストシリーズ 55〉
●11月18日(日)16:00